DUSTBOX RECORDS

ARTIST

SABOTEN

SABOTEN

  • キヨシ(Vo&Gt)
  • ヤッソー(Cho&Ba)
  • サケ(Dr)

実はキヨシのSABOTENの前身バンドTHE GENTLEMENの頃からの縁。
弾丸ツアーで行った1997年大阪の当時の天保山ベイサイドジェニー(現在閉店)にて偶然知り合ったTHE GENTLEMENをSHACHIで東京に招いていた。
その対バンをしてからお互いに全然連絡を取っていなかったが、4年くらい経って神戸STAR CLUBにてSABOTENとして再会。
後からキヨシに聞いた話だが、実はこの再会は偶然ではなくキヨシがその後もSHACHIの事をずっとチェックし続けてくれていたらしい。だからこの再会は必然だったのかも知れない。
最初はまさか同じメンバーがやってるバンドだとは思わなかったけど、ずば抜けたメロディセンスと当時では珍しく日本語の歌詞のスリーピースメロディックでメチャメチャ衝撃を受けたのを覚えている。
その後当時のLEGGOのリョースケ(現STEP UP RECORDS社長とHawaiian6のベース)からも関西にSHACHIと仲良くなれそうな良いバンドがいるって話も聞いたり色んな要素がまた自分をめぐり合わせてくれた。これこそが縁と言うものだろう。
その後SABOTEN自らAFRICAN RECORDを設立し、自主制作でリリースした「Hi ROCK Hi」。コレが本当に嫉妬してしまうくらいに名盤だった。
ただレーベル運営のノウハウも全然無く、ただ熟した勢いだけでリリースに踏み切ってしまった音源のプレゼンが思うようにいかないと言う相談も受けたので、DUSTBOX RECORDSから再リリースし全国流通にもう一度流そうと言うところからDUSTBOX RECORDSでのデビューが決まったのだ。
うちからリリースする事が決まった矢先に今度は当時のベースだった宮田が突然の連絡なしの脱退。そこでもキヨシはめげずにすぐに幼馴染のヤッソーを誘って加入させる。
Hi ROCK Hiの再リリースはV/A JUNK2の後押しもあり予想以上に反響が大きく、いよいよ二作目を作ろうかというタイミングでなんとドラムのユウスケが脱退。
踏んだり蹴ったりとは本当にこの事だと思った。
上手くいくバンドもいればこういうバンドの駒運びが本当に上手くいかないバンドがいる。
しかしその当時SABOTENとツートップでがんばっていたのがMARGALINEだった。そのMARGALINEでドラムを叩いていたサケがなんと、MARGALINEを脱退してSABOTENに加入すると言う話がまたすぐに飛び込んできた。
MARGALINE自体は個人的に好きなバンドだったのでこの話は自分には結構ショックだったのだが、双方の関係が崩れるものではないと両方のバンドから確認が取れたのでこのメンバーになることを了解した。
その後ドラムのユウスケはMARGALINEで叩くことになる。

そしてこのメンバーになった2002年12月にSABOTENで初の音源となる「NO RAIN,NO RAINBOW」を完成させたのだ。Hi ROCK Hiもそうだが当時モンパチが全盛期だったにも関わらず、神戸のタワレコではモンパチを超えてセールスを伸ばしていたと言う伝説もある。
そしてこのツアーではHi ROCK Hiのツアーを上回る内容でその名を全国に確実なものに轟かせた。
その後は京都・鴨川の主宰するスプリット京阪WAVEにてPAN,PINKLOOPなどの盟友と共にその地位を確実なものにしていく。

2003年秋に当時から目をかけてもらっていたソニーに入ることを決め、DUSTBOX RECORDSを卒業した。